859514 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ラ・ラ・ラ・メディテーション

ラ・ラ・ラ・メディテーション

瞑想について

「瞑想の三つの本質」

瞑想には、それがどのような技法であれ、そのなかに共通した本質がいくつかある。その本質的な要素はあらゆる瞑想法に必須なものだ。

その第一は、くつろいだ状態だ。マインドと闘わない、マインドに対して統制しない、精神集中をしない、いうことだ。
 
第二に、くつろいだ〈気づき〉とともに見守ること……何が起こっていようと、妨害することなく。マインドを、静かに、判断も評価もせずに、見守ることだ。

くつろぎ、見守り、判断を下さない。これが、その三点だ。すると、次第に、ゆっくりと、大いなる静寂が訪れてくる。内側の動きがすべて静まつてくる。あなたは存在する。だが、「私が存在する」という感覚はない。純粋な空間があるばかりだ。

百十二の瞑想法がある。私は、その瞑想法すべてについて話したことがある。それらは編成においては異なるが、根底では同じままだ。それは、くつろぎ、見守り、そして判断を下さないという態度だ。

「瞑想とは楽しみであるべきだ」
瞑想とは楽しみ、“あそび”であるべきだ。
それは仕事のようであってはならない。
あなたはそれを宗教人のようにやってはならない。
ギャンブラーのようにやりなさい。
遊ぶがいい、楽しみでやりなさい。
スポーツマンのようにやることだ。
ビジネスマンのようではなく……。
それは楽しみで遊びであるべきだ。

誰ひとりとして楽しみのために瞑想をするべきだ
とはいわないが、だが私はそれをいう。
“The Empty Boat”~Osho~


気づいていることは、努力するという問題ではない。
もし気づきのために努力するなら、
あなたは自分自身の内側に緊張をつくりだす――
あらゆる努力は緊張をもたらす。
もし気づきのために努力するなら、
あなたは自分自身と戦っている――戦う必要などない。
気づきとは、努力の副産物ではない。気づきとは、
手放しであることの芳香だ。気づきとは、
明けわたすことの、くつろぎの開花だ。

くつろいで、何もせずに、ただ静かに座る......
すると、気づきは起こりはじめる。それは、
どこかから引っぱり上げるものではないし、
どこかから持って来るものでもない。
それは、どこからともなくあなたに降り注ぐ。
あなた自身の源の内側から湧きあがる。
あなたはただ、静かに座っている。
Osho: Philosophia Perennis, Vol. 2, #4



© Rakuten Group, Inc.